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【自分の為で】渋谷のゴミ拾いから"ボランティア"の意味を考えてみた【良いじゃないか】

考えたこと

ついこの間はハロウィンでしたね。


私は東京にはいなかったのですが、どうやら渋谷では悲惨なことになっていたようです。
そんなわけで、今回はボランティアについて一言

渋谷ゴミ

 

【悲報】渋谷でハロウィンのゴミを片付けた若者達を、偽善だと叩くTwitter民が出現

・事の発端
若い集団がゴミ拾いのボランティアをしたことをTwitterに掲載し、それを見たユーザーから
「何でわざわざネットに写真を載せるの? チヤホヤされたいの?
Twitterに載せてアピールすんなよ
「自分でゴミ拾いしたことをアピールするとか、偽善でしょ」

といった肯定的でない反応が返ってきたことが始まりです。

・どうしてこんなことが起こったのか?

僕は、写真を見た人達が考える"ボランティア"と、ゴミ拾いをした若者の行動が一致してなかったからだと思います。

・そもそもボランティアとはなんなのか?
ボランティvolunteer)とは、ボランティア活動に携わるのことである。一般的に、自主的に無償で社会活動などに参加し、奉仕活動をする人を指す。  --Wikiより

僕はこの"無償"というのが曲者だと思うんです。 
"無償"ってお金などの対価を求めないことですが、どうもこの意味が拡大解釈されてる気がするんですよね。 
おそらく、多くの人がボランティアをこう捉えているんだと思います。

無償=金銭に限らず、一切の対価を求めない奉仕活動

つまり、「自分にとっての得を求めてはいけない」ということです。

・逆に考えるんだ
でも、よく考えてみて下さい。 自分にとって全く得のないことをする人がいるか?

もちろん、誰かから強制されたとかもあるでしょうが、そうでない限り自分にとって無価値のことをする人はいないでしょう。 フリーソフトをネットで配るのも、製作者の知名度を上げる意味があるからやってるだけであって。

そう、どんな行動も、基本的には自分に得があるからやるんです。

「一切の対価を求めず」なんてありえないのです。それはボランティアでも同じです。ボランティアは「金銭」を求めないだけです。

そう考えれば、今回のゴミ拾い問題が見えてきます。

写真をアップした若者は、①ゴミ拾いの写真をアップすることで、ゴミ問題の深刻さを知ってもらいたかった。②社会問題に関心のある自分を見せたかった。 ③ゴミ拾いをしたことを称賛してもらいたかった。 などの得を求めていたのかもしれません

全て、自分にとって得のある行動を選択したまでです。
合理的な行動をしただけであって、偽善でも何でもありません。

一方で批判をした側は、少し"ボランティア"を神聖化しすぎていたのではと思います。

完全に他者のことだけ考えて自分の身を削るなんてマザー・テレサな真似は、早々出来るものではありません。

もしも僕が偽善と言われたら、「自分の為にやっているから偽善じゃないです!」と言います。




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