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子供の「何で?」に「ルールだから」と答えて良いのだろうか?

考えたこと

オフサイドを教えて」

今週の週刊少年ジャンプにこんな読み切りがありました。

サッカーのルールを知らない少女が、サッカー部を引退した主人公にこう言います。

オフサイドって何ですか?」

主人公はごく一般的な解答をします。

ゴールキーパーより一人前の相手選手より後ろ側でパスをだしてはいけない」

それに対して少女はこう返します。ここが面白かったです。

「何でオフサイドってあるの?そんなルール無いほうが絶対楽しいじゃん」

「でもルールだから・・・」と、主人公は一瞬考えるんですが、最終的になんとか実際にプレーをしてみて体感することで、オフサイドの必要性を知ってもらうことに成功しました。

 

 

僕に子供ができたとき、子供の「何で○○があるの?」「何で○○しないといけないの?」という問いにちゃんと答えられるだろうか?

「ルールだから」「義務だから」というのは、答えになっていないんじゃないかとつくづく思う。

最近だと衆議院総選挙。「何で投票しなくちゃいけないの?」という質問が多いと思いますが、「投票権を持っているから」とか「義務だから」とか、あげくのはてに「皆やっているから」とか。確かに投票は大事だし、僕も当然一票を投じた。でも、それは投票をしなきゃいけない理由にはなっていない。

「やらなきゃいけないと決められているから」「やっちゃいけないと決められてるから」を教えるべきではないと思う。

「やるとこうなる」「やらないとこうなる」つまり、結果を教えるべきなんじゃないかと思う。

結果を教えることは、子供に思考の機会を与えることにもなる。

例えば、「お年寄りに席を譲る」ことについて。

「電車ではお年寄りの方に席を譲りましょうねー」先生はきっと子供に教えるだろう。

これは「やらなきゃいけないと決められていること」を言っただけだ。

しかし、ここでちょっと工夫を加えてみる。

「お年寄りの方は足が弱い人が多いから、立っていると大変なんだよ」(譲らなかった場合)

「そういう身体の弱い人が優先的に座ることが出来れば、大変な思いをしなくて済むね」(譲った場合その1)

「そういう流れが出来れば、君が年をとって身体が弱くなった時に、苦労しないで済むね」(譲った場合その2)

 

とまぁ、良い言い方が思いつかないけど、こんな風に教えてみると良いんじゃないかなと思う。

そうすると子供は、「お年寄りに席を譲りましょう」という単なる指令以上のことを学ぶ。

「そっか、お年寄りだけじゃない。身体の弱い人にも席を譲るようにしよう。」

希望的観測にすぎないけど、僕が大人になったら、子供にこうやって教えていきたい。