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あの時、僕は何故バイラルメディアが好きだったのか?

時は大学1年生、僕の毎日の楽しみはバイラルメディアだった。具体的に言えば「泣けるニュース」などの非2ch系と、「暇○速報」や「ハム○ター速報」などの2ch系にどっぷりはまっていた。そんな時期があったような気がする(遠い目)

当時はバイラルメディアなんて言葉は知らず、よくいる「○○した結果www」みたいな扇情タイトルに吸い寄せられていた。

バイラルメディアのに具体的な定義はよくわからないけど、ネットやリアルにある面白い話題をまとめて発信して、いろんな人に「シェア」してもらってユーザーを広げていくメディアのことだと思っている。さながらウィルスみたいに増殖・拡散していくことから、ウィルスを意味するバイラルって名前がついたんだっていうことだけは知ってる。

そんな僕がこういったメディアを一切見なくなったのは、PV至上主義とか著作権問題うんぬんで「なんか嫌になった」程度のことだ。

バイラル中毒からシラフに戻って今思うのは、「何故あそこまではまったのか?」ということだ。冷静になって昔の自分を振り返ってみたら、3つあった。

1.時代についていけてる気がした

2chまとめにしてもニュースメディアにしても、「最新の情報をいちはやく入手できる」のは強い。大学生特有のニート的ライフサイクルのせいで朝のニュースが見れない時間に起床していたので、世情はもっぱらニュースサイトでゲットしてた。当時の僕にはTVニュースより2chまとめの記事の方が好都合な理由が沢山あった。

①簡単:記事タイトルで勝手にニュースの要約をしてくれる。

「【衝撃!】○○が渋谷駅で△△を!!!」みたいに人目で分かる文章と画像があるので、ソースを読む必要がない。長文嫌いの大学生にとってはグッドツールだった。

②真実が分かる(笑):ニュースは都合の悪い情報を隠してるという前提に立っていたので、記事に詳細な画像があったり、謎の陰謀論があればすぐに食いついた。

③面白いニュースだけを選べた:自分にとって面白そうなニュースだけをピックアップしていた。興味がなかったり詳しくない分野は見向きもしなかったので、例えば苦手な経済ニュースからどんどん離れていったりした。

2.友人との話題に事欠かなかった

「そういや○○が△△らしいよ」「へぇーどこで知ったん?」「ネットで」

自分から面白い話をするのが苦手という理由で、相手にとって面白いかどうかも分からないネットの面白い話で友人とコミュニケーションを取った。見事に「ソースはネット」人間になっていった。相手に自分を開示するのも苦手なので、会話のネタに自分を使わないで済むのがとても気楽だったというのもあったと思う。

3.シェア(RT)することで自己顕示欲を発散していた

これが一番大きい。というより、バイラルメディアの異議はこの自己顕示欲にあるといっても過言ではない。バイラルメディアの異議と、ユーザーで行われる「シェア」について、次の記事で詳しく考察されていました。


バイラルメディアとは一体なんだったのか - nomolkのブログ

シェアした人が一次生産者になるメディア

以下ぜんぶ自分の印象なので何かしらの検証を経た事実ではないんだけど、泣ける話に限らず、バイラルメディアをシェアしてる人たちって、記事を「流れてきた」とか「拾った」みたいな感じで扱う傾向がある。

たとえばこの「拾った」っていう言回しについてもうちょっと詳細に書くと、「インターネットという広大な海辺で、きれいな貝殻を発見し拾いました!」というようなニュアンスであると思う。ここで言う「きれいな貝殻」というのは、いい話だったり、面白動画だったりに相当する。

で、このとき、貝殻を拾った自分、つまり最初に自然界からそれを見出した自分っていうのは、感覚としては一次生産者なのではないだろうか。ネットという「環境」から、記事を「収穫」した自分。貝殻を拾ったり、山に入って山菜をとってきたイメージ。

実際にはそのコンテンツを作った人(引用元の人)、それからそれを転載したバイラルメディアの運営者がいるはずなんだけど、彼らはそこに興味がないので、見えていない。むしろそういう記事が自然にたくさん転がってるのがネットだと思っている。彼らにとってネットは自然界である。

 

シェアっていうのは、有名な同人作家のパロディ絵を見せて

「この絵○○って人が描いたんだって!すごくない!?」じゃなくて

「凄い絵みつけたんだけどwww めっちゃウケたww」というもの。

あくまで自分が見つけて自分が笑ったのであって、誰が描いたかはどうでも良い。

もしくは感動的な親子の物語を見せて

「この話、作家の○○さんの実体験らしい。考えさせられる。」ではなく

「泣いた。。。 お母さんに生んでくれてありがとうって言おう」というもの。

あくまで私が見つけ、私が泣いたということの表明である。

このようにシェアというのは、面白いものを友人に知らせるのではなく、

「僕は面白いものを見つけられる人間だよ」とか、「流行に敏感だよ」とか、「僕はこの話に涙を流せる心を持っているよ」とか、

自分というものを他者に表明するために使うものだった。

これは本読みが友人に本棚を見せることで「自分はこういった分野に興味・造詣が深いですよ」というアピールをするのと似ている。

ある意味、僕はバイラルメディアを他人とのコミュニケーションに使っていたのだ。バイラルメディアで心が満たされる。だから好きだったんだ。

結局はそんな寂しい自分が嫌で見るのもシェアするのも辞めたんだけど、もしかしたら今のバイラルメディアの人気も、自己顕示欲に埋もれた人達に支えられているじゃなかろうか。

ひとりぼっちを笑うな (角川oneテーマ21)

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