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「頭が良い人」と「勉強ができる人」

 勉強ができる人にとって、「勉強ができる=頭が良い」と思われるのが辛いという考えもある。

「頭がいい人」扱いをやめて欲しい

バイトでも普段の会話でもそうだけど、「勉強ができるかどうか」がいかに無意味かわかる。要領の良い人っていうのかな。

2015/08/28 18:42*1

僕ができるのは「お勉強」だけだ
学生時代から大して勉強してないにも関わらず
学年トップクラスの成績だったし
受験も適当にやって、ネット上ではとてもじゃないが高学歴なんて言えないけれど

世間一般ではまあ高学歴と扱われる大学に入った。

自画自賛の意図は全くないけど僕もこういうタイプでした。

いわゆる期末テストや受験のような「ペーパーテストは出来る」タイプ。

一時期、それで自分を頭が良いと勘違いするようになってしまったこともある。

良い点とれる=頭が良い!という勘違い

試験のようなペーパーテストに求められるのは大きくわけて3つある

  1. 試験範囲を抑え、必要以上の勉強はしない
  2. 公式や単語を暗記する
  3. 問題を解きまくる

「試験範囲の内容を暗記して解きまくる」 たったこれだけで点は取れた。頑張ったのは暗記だけで、頭を使ったとか、論理的思考力を養ったとかそういうのは一切ない。

  • 社会:年代と出来事を暗記
  • 理科系:公式を暗記
  • 数学:公式を暗記
  • 国語:考察や作者の心情などの模範解答(授業で教えられる)を暗記
  • 英語:単語と文法の暗記&試験範囲内の英文を訳しておく

これで点数を取れたので、「あ、自分って頭良いんだ!」と思ってしまった。

違うぞ昔の自分。それは正しく言うなら「勉強ができるだけ」

もっと言うなら「ペーパーテストができるだけ」

そう気づいたのは大学生の時でした。 

人との付き合いで分かる「勉強できるだけ」の無意味さ

色んな人と話して思うのは、「みんな頭良いなぁ」ということです。

飲み会の席で機転を利かせてコップを用意してくれるのも、空気を読んだ発言をするのも、会場の机と椅子のレイアウトを瞬時にイメージできるのも。

それはきっと、本人が「考えてやった行動」でしょう。

そういった部分を「頭が良いなぁ」と思えるのです。

何故他人とそんなにスムーズに会話できるのか
何故そんなに空気が読めるのか
何故そんなに早く仕事が覚えられるのか
何故同時に複数のことができるのか
何故突然なイレギュラーに対応できるのか
自分の周りの人の頭の良さ、頭の回転の速さに驚いてばかりいる

椅子を運ぶバイトで思ったこと

他にも、「頭が良いなぁ」と思える場面はいっぱいありました。その中でも印象に残っているのが、バイトで会場の椅子を撤去する仕事に入った時でした。

沢山の椅子を収納できる台車に、椅子をつめてはつめていく作業です。

そこで僕のやり方と、実際に仕事を経験している人との違いが分かりました。

  • 僕:椅子を持つ→台車に向かう→置く
  • 経験者:台車を椅子の近くに移動させる→椅子を台車に置く

僕は椅子を移動させていたので、台車まで歩くのにスタミナがどんどん消費していきました。 

対して経験者は、台車を大量にある椅子の近くに移動してから運んでいました。

それを見た時「あっ・・そっかぁ・・・」と思いました。僕は何度も台車まで往復しているのに、経験者は全く動かず効率よく作業をしてるんです。

思わず、「頭いいなぁ~」と心の中で呟きました。

「いやいや、こんなのも考えられないの?」 と思うのも仕方ないけれど、

公式を暗記して、それをそのまま思い出しては使うだけのペーパーテストをクリアしてきただけの自分では到底想像もつかなかったです。

そういった発想は、多分仕事の中で「こっちの方が効率良くね???」と思考した結果生まれたものだと思う。

月並みだけど、自分の頭で考える人が「頭が良い人」なんだなぁと思う。

自分の頭で考える (中公文庫)

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