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SNSってアイコンのキャラが喋っているように見える

人はパンのみにて生きるにあらず。ネットは己のみにて生きるにあらず。

多くの場合、ネットにはアイコンという第二の自分を持って参加する。

アイコンを目にする機会が最も多いのはTwitterだと思う。何しろTwitterは有象無象、玉石混交の地獄絵図であり、今日もなお「いったい何者なんだ・・・」と言いたくなるUMAが溢れているからだ(独断と偏見に基づく)

僕が思うざっくばらんなアイコンのイメージ。

①顔写真:有名人や一部の中高生、後は有名ブロガーがブランディングの為にやってそう。大体はプロモーションか識別のためじゃない?

②風景写真:ネットの画像より旅行先の風景とかが多い。人生充実してそう

③有名人:心理学では「その人になりたい願望」があるらしいけど、単純にその人が好きだからじゃないかな。30超えたおっさんがアイドルになりたいか?

④リアルの動物:飼い猫や飼い犬の写真だったり、愛情ある人が多いイメージ。

⑤キャラクター:????????????

キャラアイコンはカオスの権化だ!

キャラクターアイコンは複雑すぎる。「なんだこれ!?」って言いたくなる化け物もいれば、「あら可愛い」と言いたくなる美少女キャラもいる。枠に収まりきらない多様性を持っている。それが凄く面白い。

キャラと台詞がこれほど真逆なのも珍しい

面白いのは、アイコンのキャラクターと呟きの内容にギャップがありすぎる所だ。

例えば、最近RTで回ってきたこんな感じの呟きだ。

僕は恋愛でも食べ物でも何でも「ギャップ」が好きで、こういうのを見ると内容の前にアイコンとのギャップに噴出してしまう。

実際のところただのアイコンなのに、「その顔でそれ言うか」(褒め言葉)というリアクションを起こしてしまう。感受性なのか。

偶像(アイコン)と実像

↑で「実際のところただのアイコンなのに」と書いたがまさにその通りで、本来アイコンと話し手は分けて考えるべきなのだ。

平たく言えば、どれだけ可愛い美少女キャラで呟こうが、画面の向こう側には髭を生やしたオッサンが鍵盤を叩いているのだ。

が、何故か僕にはそれが出来ない。そうしたギャップを味わいすぎたせいなのか、

「もはやアイコンのキャラが喋っているようにしか見えない」のだ。話し手=アイコンになってる。

まるでアニミズムのように、SNSのアイコンという架空の存在に魂を宿らせている。(そういえばアニメート(animate)には「魂を宿らせる」という意味があったっけ。)

偶像と実像の逆転現象

こうなると順序が逆転して、キャラクターを見るたびに特定の人物が思い浮かぶ。

とあるサンリオのキャラクターが桃太郎の人に見え、ただの宇宙怪獣が大層博識な人に思える。そんなことはザラだ。これは別にその人を特別崇拝しているからというわけでは無く、タイムライン等で何度も目にするうちに自然とそうなってくる。

もはや元のキャラクターってどんな奴だっけ・・・と言いたくなる。キャラアイコンはカオスの権化だ。だがそれがいい。

というわけで、キャラアイコンは昨今批判されがちだけど、気にせずもっとやれば良いと思います。オチなし。

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