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「〇〇は良いなぁ」=「〇〇以外は愚か」なのか?  ネット上の意見の受け取り方を考える

ブログ、SNS、掲示板、日々いろいろな意見がネットの世界に置かれる。

書く人がいる以上、当然それを読む人たちがいる。ブクマやリプライによって読み手の反応がダイレクトに届くようになって、書き手と読み手の距離はさらに近くなったと思う。

 ただ、近くなりすぎたからかなのか、読み手の受け取り方の違いで、読み手VS書き手、酷いときには読み手VS読み手なんかの構図になったりすることもある。

よくあるのが「〇〇っていいよー」っていう紹介系、啓蒙系の記事。

こればかりは書き手の思惑というか書き方によると思うけど、

たまに「俺××(主に〇〇と正反対な要素)なんだけど馬鹿にしてんの?」

みたいなコメントがついたりする記事を見かける。

書き手と読み手のすれ違い

読み手の側は、「〇〇が良いということは、そうでないものはダメなのか」と感じた。

ここで大事なのは、書き手の側に〇〇以外を馬鹿にする意図があったかどうか。これは、目で見て判断するのは難しい。

あえて〇〇以外を貶めて炎上PVを稼ぐ、四国住まいのオジサンのように分かりやすいもんじゃーない。褒めたいのか馬鹿にしたいのかを見極めるのは難しいと思う。

本人的には「××を馬鹿にする意図はありませんでした」って表明しても、一旦誰かが疑念の火をつけると、加速度的に他所に燃え移る。

伝言ゲームをやったことがある人なら分かると思いますが、まず情報はそのままの形で伝えられることはない。

「馬鹿にしたよね?」と感じた人には、「性格の悪い書き手」というマイナス評価の前提で情報が伝えられるようになる。その人がフォロワー数何万人とか立場のでかい人なら、なおさら元のままとは程遠い形で伝えられる。良い例はまとめサイト等に沢山転がってるので見てみてください。

「炎上」と「拡散」の考現学――なぜネット空間で情報は変容するのか

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 そういう情報に目をくれず、直接記事を読んだ人の中には、「僕はそうは思わなかったけどなー」とコメントを残す人もいる。

実はこれがまた厄介で、今度は馬鹿にされたと感じた人を含めた多くの人が、「そう思わなかった人」を書き手の擁護者とみなして敵対したり嫌悪したりする。

そうしたらもうよくあるネットの喧嘩の出来上がりで、「一体何と戦ってるんだ」状態になる。もう見てられない。

読み手と書き手に求められること

結局のところ、火種は読み手の「馬鹿にされたと感じた!」と表明したところにある。では、書き手に責任はないかというと、そんなことは無いと思う。

自分が四国マンのようにあえて煽る系の人じゃないのなら、表現には最大の注意を払うべきだと思う。

  • 「〇〇良いよ!」以外に何か扇情的なことは言っていないか

例えば、「使ってないなんて損してるよ」「××だった過去の自分を殴りたい」とか。

そして、書き手には少しのスルースキルみたいなものが求められると思う。

  • 明らかに煽ってるなと感じたら、「あぁそういう人なんだな」と温かい目で見つつスルーする。
  • ちょっと語弊や違和感を感じても、相手を言いくるめようとしない。

「××だけど~~な所も良いよ」とさりげなくアピールしてみるか、面倒なら何もせずブラウザバックする。つまりそう、「ひろいこころで\(^o^)/」

 

 というのが、これからのネットで必要になっていくのかなーと思いました。